タルタリア文明について16 釈迦様って本当は巨人だったのかも編

前回よりだいぶ空いてしまいましたね

ざっくり3ヶ月ぐらい開きました。申し訳ない。

色々忙しくてなかなか更新出来ずにいましたね。

ごめんなさい🙇‍♂️  まあ待ってる人いるのか知らないけどw

 

 

 

さて今回なんですけど、

巨人について色々調べてたんですけど

色々動画を見ていて(これは。。。?)って思ったのがありまして

 

それがこれなんですけど。

これは字幕にもあるようにスーダンのヌビアのピラミッドのフレスコ画らしいんです。

象を軽々持ち上げる巨人が描かれてるんです。

 

 

 

これをみて思ったんですね。

あれ奈良の大仏に似てるんじゃね?って

 

 

こちらが奈良の大仏さんなんですけど

わかりますかね?

 

両方とも髪の毛のぐるぐるしている感じとか、

左は肌が赤茶色ですけど右も肌は黒い感じとか、

あとデカいんですよね。左も軽々象をもちげるぐらいだし、右の大仏さんは言わずもがな

ですね。

 

これみててもしかして大仏様は大きい黒人(または有色人種)が本当にいてそれをベースに作られたのでは?と思うようになったんですよね。

 

で、大仏さんも色々調べたんですけど

おかしいんですよね。

体は銅でできてるんですけど、わざわざこんなに大きい像を作るのに

どうして銅で作るのかと、8回ぐらいに分けて鋳造されたらしいんですけど

昔の時代なら銅を採掘して鋳造するまでとても大変だったと思うわけです。

なのになぜそこまでする必要があるのか、

大きい像を作りたいのであれば木を組み合わせればできたはずですし、

無理に銅で作るにしても3mぐらいの像でも十分役割は発揮できたと思うわけです。

 

どうしても黒色を表現したかったのか?

これだけ大きいのを表現したかったのか?

 

それから頭のぐるぐるなんですけど

本当は螺髪螺髪)というらしいですね。

三十二相八十種好というもののひとつらしい

これはお釈迦様の特徴がみてすぐわかるレベルのものが32個

もう少し微細な特徴が80個ありますよということらしいです。

ということはお釈迦がそもそもこの頭ぐるぐるだったんではないかと思って

調べることにしたんです。

 

ネットで釈迦って検索するとこの人ばかり出てきて困りましたw

プロゲーマーの方らしいのですが名前がまんま釈迦らしいのです。

もうちょっとなんとかならんかったのかと思ってしまいましたw

 

さてそんなことはどうでも良くてですね

肝心のお釈迦様なんですけどすごいことがわかりました。

どうも身長が4・8メートルぐらいあったらしいのです。

どういうことかというと仏教の仏典には1丈6尺あったと書かれているいるらしい

これを現在のメートルに直すと4・8メートルになるらしい

それから普通の一般人8尺あったと描かれているらしい

これは普通の人の倍お釈迦様は大きかったよという意味らしいのだが

普通の一般人ですら今で言うと2メートル40センチぐらいになるので

そもそもみんな今よりもデカかった説が濃厚なのです

福岡の涅槃像 全長40Mあるらしい

 

これはタイの涅槃像

 

日本だけでなくタイやスリランカにも涅槃像あるらしいんだけどこれも大きい

やはりお釈迦様は巨人だったんではないかと思ってしまいますね。

 

 

それからもしかして自分が知らないだけでアフリカ人て現代でも大きい人いるんではないか

と思って調べてみたんです。

 

するとやっぱりいるみたいなんですね

スーダンにいるディンガ族という人たちらしんですけど

平均身長だけで182cmもあるらしんです。

男性であれば2m超えることもザラにあるとか

 

彼はマヌート・ボルというNBAプレイヤーらしいのですが身長は231cmあったらしいです。

父も母も身長2m越えでお爺さんは240cmだったとか

 

内戦等の影響で平均身長は下がっているらしいのですが

DNA 的には2mを超えることは現代でも十分できるんではないかなと思っています。

アフリカには私たちが知らないだけでまだまだ色々なことが眠っているのではないかなと

思いました。

 

 

はい、ということで

お釈迦様について調べてきました。

お釈迦様が黒人だったかについてはまだわかりませんが

少なくとも大きな人だったんではないかということがわかったかと思います。

もし仏教等で信心深い人にはもしかしたらそんなわけはないと

怒られてしまいそうですが、あくまで仮説を立てているだけですので

ご了承しただけたらと思います。

 

では、バイチャ👋

タルタリア文明について15 右書きて前文明の遺産なんじゃね?編

前回初代通天閣を調べていた時ふと思ったんですね

なんで昔は右書きだったのに今は左描きなんだろうって

 

 

この前ドクター・ストレンジの映画を見ていて

赤信号で道路を渡るシーンがあったんですけど。

マルチバースつまり世界が違うと常識も変わるみたいなことを

言っていているのを思い出したんですね。

 

そう世界が違うんではないかなと

この右書きは前文明にい使われてたものなんではないかなと。。

そこで考察をしてみようと思い立ったのが今回です。

 

まず、この門を見てなんで右書きなんだろうって

この新世界でも今では  新 世 界   って書くと思うんですけど

この門は        界 世 新      になってるんですね

 

これ戦前はこういうかんじで右書きだったみたいですよね。

 

 

この凱旋門的な門もタルタリア時代にできたものだとしたら

タルタリア時代は日本語は右書きが主流だったのではないかと思ったのです。

 

元々江戸時代などはこんな感じで巻物に縦書きが主流だったみたいなんですよね。

右詰めで右から書いてどんどん左に流れていく感じ

1885年の紙幣なんですけど右書きでNI PPON  GINKOとかは左書きにしてたみたいです

 

 

明治になった頃はまだまだ右書き主流みたいだったんですけど。

大正時代から昭和初期ぐらいまではどっちもあったみたいなんですよね。

完全に亡くなったのは戦後にGHQに新聞等で左がきに統一されたみたいなんですよね

 

 

そもそも右書きて英語が左から書くからそれに応じて

日本語もつられていったらしいんですけど。

 

日本て左側通行ですよね

世界的には右側通行だったりするんですよね。

だから車も左ハンドルだったりするわけで

これも何か理由あるのかな

 

右利きと左利きだったら左利きの方が少ないのはなぜだろう

。。。。。

 

ちょっと色々考えすぎましたね。w

 

自分の中ではタルタリアって2つあるんですよね。

どういうことかっていうと

タルタリア帝国としてのタルタリア

これは13世紀から18世紀まであったとされる帝国で僕もずっと調べてるんですけど。

もう一つあるんではないかなと思っていてそれはタルタリア文明としてのタルタリア

これは僕らが今の現文明だとすると前の時代の文明のことをタルタリア文明と読んでいるんですけど。

よく666は獣の数字だとかいうんですけどこれって

今僕らが過ごしてる時代が第6番目の時代だよっていう意味っていう都市伝説が

あってその理論でいくと第5番目の時代のことをタルタリア文明またはタルタリア時代

っていうんではないかなと思っています。タルタリア帝国はそのタルタリア文明を引き継いだ

帝国だったんではないかと思ってます。

だからこの第6番目の時代でも突出した技術を誇っていたし、またそれが理由で消されたのかもと考察してます。

 

 

あと自分的には文明リセットってあるんですけど。

文明コンティニューがあるんではないかなと思ってます。

よくゲームなんかでリタイヤすると

また初めの1面目からスタートみたいなことってよくあると思うんですけど

そうではなく途中のセーブポイントまで戻ってまたそこからやり直す

みたいなことってゲームでありますよねつまり

コンティニューするみたいなことです。

 

今回の第5番目と第6番目は文明コンティニューだったんではないかなと、

文明リセットだとまた原始人からやり直しだけど、コンティニューなら

そこまで行かずにやり直せるのではないかなと思っています。

 

 

 

ハイ、今回はここまでです。

今回は主に考察メインになって申し訳ないです。

次回はお釈迦様って実はめちゃくちゃデカかったんじゃね説を

お送りしたいと思います。

ではバイチャ

タルタリア文明について14 初代通天閣について

えーと、前回はデパート編をお伝えしましたが

今回は初代通天閣について書いていきたいと思います。

通天閣は一度立て直されてるので今あるのとは別物なんですね

それでその初代通天閣を取り上げたいと思います。

元々通天閣はこんな感じで下の部分は門みたいな感じらしいです

エッフェル塔を彷彿とさせますよね

下の部分がいかにもタルタリアですよね

 



で、その門の裏側にはこんな絵が描かれていたらしく

最近はそれを復元したらしく今の通天閣の裏側はこうなっていました。

なんか綺麗に再現されてるけど初代のやつと比べるとしょぼく見えるね

 

あとクジャクってよく見るんですよねタルタリア様式の建物で

もしかするとすごく大事にされてたのかも

 

あとクジャクの羽には目みたいな模様がありますよね

クジャクギリシア神話においては女神ヘーラーの飼い鳥とされ、上尾筒の模様は百の目を持つ巨人アルゴスから取った目玉そのものであるとする説があるとWikiに載ってたんですけどもしかするとこの巨人を表してたりするのかもしれません。

 

 

 

元々通天閣はルナパークという遊園地だったらしく

通天閣はそのテーマパークのメインの塔だったらしい

 

 



これ当時をイメージして作られたジオラマらしいけど、

電飾その時からあったのかな?

明治にはもうすでにあったてことかな

 

 

 

よく見ると着物着てる人とかいるのにこの西洋風の建物だらけなのおかしくねw

当時の技術力じゃここまで作れないでしょう

 

 

あと必ずこのテーマパークは門が至る所にあるんですよね

凱旋門てきなやつが

 

 

 

 

色々忙しくて足早な感じで申し訳ないですけど、

今回のまとめていきますね

 

やっぱり初代通天閣のあったところは

元々タルタリアの遺物的なやつを使ってテーマパークにでもしたのかな

というのが正直な感想です。

今はもうないのがすごく悔やまれますね。

ズラーと並ぶのを見てみたかったなと

 

 

 

ハイ、ということで今回はここまででです。

次回は実は今回あることに注目してみたんです。

それが右書きなんですよね

羅生門なら 門生羅 みたいなかんじで描かれてるんですよね

これいつからやってていつからやめたんだろう

この辺を疑問に思ったので調べたいと思います。

 

 

次回は右書きって前文明の遺物なんじゃねっててタイトルで書いていきたいと

思います。

ではまたバイチャ👋

タルタリア文明について13 デパート編

最初にだいぶ期間があいて申し訳ないです。

色々忙しくてなかなか更新出来ずにいましたごめんなさい。

今回は考察多めで行きます。

 

 

 

デパートってなんで地下があるんだろうってふとおもったんですね。

そもそも地下いるのか?って話ですよね

マンションとかなんかは地下なかったりするのに

なんで地下があるんだろうってふと思ったからなんですね。

 

で、ちょっと調べたら今ではデパ地下って食料品を売ってるところになっているけど、

1936年に初めて名古屋の松坂屋でデパ地下が導入されたらしいんだけど

どうもこの書き方だと元々地下はあったぽいですね。

今の食料品とかを売り出したのが1936年かららしいです。

 

 

 


そもそもなんでデパートを調べようと思ったのかというと

この難波の高島屋を見てからでした。

あれ?これタルタリアじゃね?

色々調べてみようか?ってなったからです。



こちらは高島屋の別館なんですけど昔は松坂屋だったところです。

今は綺麗にリノベーションされてカフェやフードコートがあって

上はホテルになってるみたいです。

この向かい側はいわゆるオタロードになってるんですけどねw

 

 

ここも地下があるんですよね

わざわざこんな大層な階段を作る意味あるのかな

しかも地下に・・・・

 

 

そこにこんな資料館があってのでいきましたけどすごかったです。

写真撮りたかったけど、撮影禁止のところがおおくて

なかなかとれませんでした。😂

 

 

 

 

 

 

このエレベーターは写真OKだったので撮りました。

豪華ですね。ハリーポッターに出てきてもおかしくない感じです。

 

 

 

これは神戸三越のなんですけどこんな感じのがたくさん展示してました。

これは東京の日本橋ですけど、展示してあったのもこんな感じの建物だらけでした。

内装もかなり豪華だったみたいです。

みんな忘れてるでしょうけど戦前なんですね。

 

僕の考えではデパートは元々タルタリアの建物をそのまま使ってる

ではないかなと思ってます。だから地下があるしっていうか

元々1階だったところが埋まって地下になったのではというのが僕の考えです。

 

ぶっちゃけ明治の初期に電気もあるようなないような時代に

あんなでかい建物を本当に作れるのかなって思ってます。

重機もないだろうし、トラックもないだろうし

 

 

 

はい、今回はここまでです。

なかなか更新出来ずに申し訳ないです。

次回は早い目に更新できるように頑張ります。

次回は初代通天閣について調べていきたいと思います。

 

タルタリア文明について12 ガリバー旅行記編 ブロブディンナグ

今回はガリバー旅行記について書こうと思います。

そもそもなぜガリバー旅行記なのかっていうのを説明しますね。

元々はタルタリアについて色々調べてたんですけど

巨人がどうもいることがわかり、巨人について調べようとしたんですね

でも、あまりいい情報がなかったんです。

 

 

そこで巨人について

お話や伝記なんかから探すことにしたんです。

で今回調べたのがガリバー旅行記なんですね

一応ペンギンブックスっていうイギリスの出版社の本を2つネットで

買いましてこれを中心に考察していこうと思ってます。

英語版の方が内容がきちんと載ってるみたいなので。。。

(ぶっちゃけ2さつもいらなかったかもw)

で中身なんですが

こんな感じで到底英語のできない私には難しいw

そこでガリバー旅行記を忠実に翻訳してくれてる本はないかと

探しまして

 

このグーテンベルク21さんのガリバー旅行記がかなり忠実に書いてくれているみたいだったのでこれを元に書いてます。

なぜこれなのかというと最初に友人の手紙としてイントロみたいなのが書かれているんですけどそれが書いてあったのと自分なりに翻訳した場所がある程度あっていたからでした。

 

 

さて事前説明が長くなってしまいましたが、

本題行きますね。

ガリバー旅行記を知らない人のために説明すると

ガリバー旅行記って4つのお話に分かれてるんですね

1、リリパット国編

2ブロブディンナグ国編

3、ラピュタ

4、フウイヌム編

と、4つにお話が分かれてる中で

今回はブロブディンナグ編をやって行きたいと思います

このブロブディンナグがいわゆる巨人の国なんですね

でこれが地図なんですけど、どうも北アメリカにあったみたいなんですよね

これ何がすごいかってどうも島なんですよね

 

 

 

進撃の巨人でもパラディ島っていう島に巨人がいててそこに壁をひいててみたいな話

あリましたよね。

パラディ島のモデルはマダガスカルみたいなんですけど本当は北アメリカだったのかも。。

アメリカには巨人の島が実在したのかも

 

あとYouTubeでみた北米大陸は変化していたっていう動画も見たんですけど

 

これをみてほしんですけど

完全にブロブディンナグのあった位置は何も書かれていないんですね

この本で北アメリカ大陸に行ってるのが1705年とかなので

何も書かれてないのは明らかにおかしいんですね。w

 

で肝心の中身なんですけど

医師レミュエルガリバーという人が色々なところを冒険したみたいな感じで書かれているんですけど。実際に書いたり冒険したりしているのはジョナサンスイフトという人物なんですね。

この当時は植民地にするために色々な国を散策して植民地に出来そうならば

後で本国に報告するみたいなことがあったと思うので自分的にはこの本は

全部の部分が決してファンタジーではないと思っています。

 

で今回の巨人編をざっくり説明すると

海を航海しているところで暴風雨に遭い、その後知らぬ島?大陸?にたどり着き、

そこでは60フィート(18メートル)もある人間ばかりがおり、最初に農夫に拾われる。

その農夫の娘のグラムダルクリッチという娘に世話してもらう。

そしてその農夫に見せ物として全国行脚することになりヘロヘロになって、

死にそうなところでローブラルグラドの王様にみそめられて、宮廷で生活することになる。

宮廷で王様と王妃の相手をしており、2年ぐらい暮らした後。

大きい鳥に自分の家というか籠を引っ張ってもらい海に落ちたところを

たまたま通りかった普通サイズの人間に助けてもらってイギリスに帰るみたいなお話。

 

 

 

 

 

 

でタルタリアはどういう感じで描かれているかというと

こちらは最初に船で暴風雨で進路がわからなくなっている時にこのまま行けば

グレートタータリに突っ込んでしまうみたいな感じ

 

 

こっちはタータリー大陸という単語が。。。

どこって感じw

多分ユーラシア大陸のことを指しているのかと

そしてユーラシア大陸と対になるぐらいでかい大陸があるはずだみたいな感じの書き方です。

 

まあこの本自体ファンタジーの可能性もなくはないんですけど

タータリーという単語を出す意味がよくわかりませんよねw

ファンタジーにファンタジーを重ねるような感じになるし

だから昔はタータリって確実にあったんじゃないかと自分は思ってます

ちなみに英語版はこんな感じで書いてます

注釈があったので載せときますね

グレートタータリーは北東アジアになるらしいですね。

 

さて後

ブロブディンナグの説明を最後に載せて終わりたいと思います。

領土は長さ6千マイル幅3千ないし幅5千マイル

北東を高さ三十マイルの山脈があるらしい

大都市が18こほどあり

首都はローブラルグラド意味は世界の誇りというらしい

それからすごく面白い記述があったのだが

このアルファベットが22しかないという点である

これがもし本当ならフェニキア語というフェニキア人が使っていた言葉を

巨人は使っていたかもしれないと思う。

なかなかファンタジーだと思う

 

 

はい、今回はこの辺にしたいと思います。

まだまだガリバー旅行記って面白い事がたくさんあるんですけど、ラピュタ編では日本も出てきたりするんです。長崎の出島に行ったりしたみたいなんですけどね。それはまた次の機会にでも考察できればなあと思います。

 

 

次回はデパ地下編です。

少し箸休め的な感じになるかもですけど。

バイチャ👏

タルタリア文明について11 タルタリアンツアーin奈良 後編

前回の続きです

なぜ奈良に行ったかというと大仏さんが気になったからでした

なぜ大仏なのかというとどうもタルタリアには巨人がいたという話を聞いたから

でした。

もしかしたら奈良の大仏も巨人に何か関係あるのかもしれないと思ったためでした

 

では後編行きます

東大寺の南大門です。

まずこの門がでかいw奈良って比較できるような建物とかがあまりないので

わかりにくいですがこの門25メートルあるらしんですよね

今まであまり深く考えてませんでしたが、冷静に考えたら頭おかしいw

どうやって身長が2メートルない人間が作るんだとこれ

今なら重機やらクレーンやらあるんでしょうけどそんなものなしで

どうやって作るんだと⁉️

有名な金剛力士像  阿吽像です。

8.4メートルらしいです

運慶と快慶が69日で作ったらしいです。すごい⁉️

そもそもなんでこんなにでかいのを作ったんだろう。

そんな2ヶ月ちょいで作れるものなのかなあ

設計図とかそもそもあったんだろうか

木造なので作れないことはないんだろうけど

何にも考えずにいきなり作れるものなんだろうか?

やっぱり巨人がいててそれを真似て作ったんだろうか?

 


こちらの門にもいますね

 

こちらは江戸時代に作った門らしいんですけど

運慶快慶のやつに比べるとちょっとちゃっちいかも

 

 

外にあったやつだけどなんだろう

これもタルタリアと関係あるのかな?

 

 

さて大仏殿なんですけど

この建物見てて思ったんですけど

ここだけなんか違いますよね

なんか屋根が違うしちょっとタルタリア建築っぽいなあと

大仏殿て何回か火事になってるぽいんで元々は全部これだったのかもなあと思いました。

八角形の灯籠?

これもでかいんですね

こんなに大きい意味ないと思うんですけどねw

 

さて本殿に入って行きます

 

でかいなああ

14、7メートルあるらしいです。

さっきの仁王像が8メートルなんで

それより確実にでかいですね。

 

これ手とかかなりリアルですよね

手首の線とかかなりリアルですね

これ本当にこういう大きい人がいたんではないかと思ってしまいますよね

両サイドにいてる如意輪観音虚空蔵菩薩も十分にデカくて感覚がおかしくなってきそうw

巨人って言っても進撃の巨人で言うところの

超大型巨人と巨人とか言うふうに巨人の中でも大きい小さいあったのかもしれないなあと

これは多聞天ですけど、四天王像が四隅にいてたみたいなんですね

 

東大寺は何度か火事にあってるみたいで何度か再建されてるみたいですね。

 

それから調べててわかったんですけど

京都にもどうも大仏があったらしくて色々調べてるんですけど

面白いことがわかってきました

エンゲルベルト・ケンペルというドイツ人が書いた大仏なんですけど

この大仏は19メートルぐらいあったそうで今の奈良の大仏よりも

でかかったらしいんですね。

これがその時の大仏殿らしんですけど(ちなみに2代目の大仏殿)

ちょっと書き方の問題かもしれないですけどどことなく西洋風の感じがあるきがする

 

そしてこれが3代目の大仏殿なんですけど

ここにくびがあるのがわかると思うんですけどこれが大仏殿の入り口みたいなんです

さっきのこれみたいな感じですね

 

 



それからこの鐘なんですけどデカすぎると思いませんか

人間の倍ぐらいあるんですね

このタルタリアの鐘に似てるなと思いました

サイズ感とか同じ感じなのかなと

そしてこの大仏殿の残骸を使って作ったのが

この堀川第一橋らしいんですけど

はあ?って感じですよね

これ石作りだよね

ということは大仏殿も石作りだった手ことかな?

 

 

 


それからさっきの鐘なんですけど

面白い事実があるんです。

この大仏殿があるお寺は実は方広寺って言うんですけど

徳川家康が鐘銘事件を起こしたお寺なんです。

鐘に国家安康、君臣豊楽って書いていてそれを家康が怒って大坂冬の陣

起こしたとされる事件ですね。

 

どうもこのお寺はもっとタルタリア様式のすごいお寺だったんではと

思うようになってきました。(鐘もタルタリアにはすごい大事だったみたいなんで)

だから徳川家康はそれを潰したかったんではないかと、

だからこんないちゃもんめいた難癖つけて

冬の陣を起こしたのではないかなあと

まあここら辺は想像の域ですけどね。

 

 

はい今回はここまでです。ここまで見ていただきありがとうございます。

後編は大仏を中心に書いてきました。

奈良編はこれで終わりです

 

 

 

次回よりもう少し巨人について何か調べられないかと考えていたら

ガリバー旅行記を思いつきまして

ガリバー旅行記について真剣考察中です。

少しネタバレにはなるんですけど文章の中に実はタルタリアという

言葉が出てくるんです。

 

 

どういう内容で出てくるかは次回のお楽しみでお願いします。

バイチャ👋

タルタリア文明について⑩ タータリアンツアーin奈良前編

前回に言ってた奈良編です。

なんで奈良なんだ?って思う人もいるかもしれないですけど

自分の中であの建物ってタルタリアなんじゃね?っていうのが

いくつかあったんですね。

それと一番に気になることもあって奈良に行けば何かわかるかもって思ったんですね

そのことについても一応、あとで書きますね。

 

 

 

 

ではではタータリアンツアースタートです。

 

まず最初に気になったのがこのJR奈良の駅舎なんですね

今は駅舎としては使われていないみたいなんですけど。

横ももっと長かったみたいですね。

 

ちゃんと上にエネルギーのアンテナもありますね

 

 

自分がタルタリアの建物かどうか見るのにだいたい目印にしてるのがこの装飾なんですね

特にこのブローチ的なのがあるのとタルタリアで間違い無いかと。。

 

 

この装飾もいい感じですね。

時計も使われてるみたいです

 

建物のなかもう少しとればよかったなああ

なかにはスタバとか観光案内とかがありました。

 

これが昔の奈良らしいんですけど。

どうも洋館は明治28年までなかったらしいんだけど

ロータリークラブだしなああ

ロータリークラブってどうも闇側説あるしなあ

 

次に見つけたのがこれ

これなんだろう?

風の谷のナウシカみたいなの

羽に車輪てなんだろう右に持ってるのは葡萄かな?

これ南都銀行みたいなんですけど、これもどうもタルタリアっぽいなあと

 

 

ちゃんとガス燈?までありました

この羊なんだろう

中之島でも羊を見た気がするなあ

羊て何か特別あるんだろうか

 

 

さて実は一番のお目当てだったりするんですけど

僕が奈良で気になってた建物です

奈良国立博物館なんですけど

どうですどう考えてもおかしくないですか?

奈良国立博物館て建物が二つあるんですね

もう一つの建物こんなのですよ

明らかにちゃっちいw

ぶっちゃけこの書いてる通りなら明治の方がヨーロッパ風のすごい建物を建ててることに

なるんですけどねええw

 

この日は定休日だったので中には入れませんでした。

残念です。🙍‍♀️

ここは今は仏像館として使われてるみたいです。

奈良国立博物館て二つの建物の間を実は地下通路で繋がってるんですよ

装飾が本当にすごいあんな高いところに

どうやって掘ったんだろう

それとも掘ったやつを付けたのかなあ?

この扉かなりでかいよね

人間サイズで作ってないよね

 

最後に行ったのが

この奈良監獄です

どうです

この建物のヨーロッパ感

これ刑務所として使ってたんですよ。

完全にあたおかですよね

調べたら中にもツアーみたいなのがあって

もう仕込めば中に入れたみたいですね

残念です。

 

調べたら明治五大監獄ってあるみたいで奈良監獄の他に

千葉監獄

金沢監獄

長崎監獄

鹿児島監獄

ってあるみたいなんですけど

これ全部タルタリアの置き土産なんじゃ。。。。。

 

最後の鹿児島監獄なんかどうなってるのw

これヨーロッパのお城に似てるよね

映画ジャンヌダルクにこんな感じの出てきたような気がするww

 

はい今回はここまでです。

次回はとうとう巨人違った

大仏をみに行こうと思ってます。

自分が冒頭で述べた一番気になってるって言ってたのは

この大仏さんのことなんですけど

長くなったので次回に回しますね。後編に期待で